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第2回 『ユリイカ』の表紙絵 バックナンバーはこちら >>> 書肆ユリイカが発行していた雑誌『ユリイカ』は、1956年10月に創刊された。その特集も様々であったが、表紙デザインもまた楽しい。 創刊号の表紙絵は伊原通夫の作品であった。飯島耕一が詩を書いた詩画集『ミクロコスモス』(1957年)を彷彿とさせる力強いタッチ。1957年4月から芥川沙織に代わり、浜田伊都子、中井幸一と続く。 漫画集『寝台と十字架』(1958年)や『動物園』(1959年)の作品集もある真鍋博が、初めて『ユリイカ』の表紙絵を描いたのは1958年3月号からで、6月号までの4回描いている。5月号の図を掲げたが、この中央部分のカットは確かに真鍋のペン画だが、味わい深く力強い「ユリイカ」のタイトル文字や数字は、伊達得夫お得意の切り紙文字であろう。下方の「EUREKA MONTHLY REVIEW」が、『ロートレアモン全集』の函文字にそっくりの雰囲気だから。 1958年は1月がコダール、8月はクレーで、10月がヴオチエ。9月、11月、12月は写真を使用した作品であった。そして井上洋介、真鍋博のあと、1959年7月に長新太が登場、左下に「Shinta Cho」のサインが見える。10月から3か月は久里洋二が担当した。 1960年1月号からは再び真鍋博が表紙絵を描いている。 A5判表紙の上下を大胆に二分割し、鮮烈なコントラストの配色の中に繊細な真鍋のカットが配される。使われる色は毎号代わるが、表紙左上に「ユリイカ」のタイトル文字を置いたこのデザインは1960年12月まで変更されることがなかった。 そして1961年、詩誌『ユリイカ』は2月号を発行したところで終刊を迎える。この2号分については、2色を大胆に用いるという基本的なデザイン・コンセプトは前年 と代わりないが、タイトル位置などは異なるデザインにしている。担当したのはやはり真鍋であった。 それまで表紙絵の画家は目まぐるしく代わっていたのに、1960年1月から最終号の1961年2月までは、14回にもわたって真鍋が描き続けている。単行本の出版でも、同じ本でさえ増刷時にはこまめにデザインを変更するような伊達が、1年以上も同じデザインの表紙を踏襲するというのは、私にしてみれば違和感がある。 長谷川郁夫氏による伊達得夫の綿密な評伝『われ発見せり』(書肆山田、1992年)を見ると、1960年のこととして次のような記述がある、「初夏、かれ(注・伊達得夫のこと)は腹部にはっきりした異常をみとめた」。伊達は、8月に入院した病院で急性肝炎と診断されたのだった。つまり、デザイン変更をしたくてもできない状況にあったと考えられる。 真鍋の表紙絵は美しい。しかし、病床の伊達はそれをどのような気持ちで眺めていたのだろう。14回続いた同じパターンの表紙絵を見ながら、私はそんなことに思いを馳せたのだった。 |
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バックナンバー
2005.09.18 第1回 ふたつの『ユリイカ』 2005.09.26 第2回 『ユリイカ』の表紙絵 2005.09.28 第3回 有名画家の展覧会 2005.10.02 第4回 洋書にしか見えないブックデザイン 2005.10.05 第5回 継ぎ表紙の妙技 2005.10.05 第6回 赤と黒 2005.10.05 第7回 鮮やかな配色 2005.10.16 第8回 切り絵と切り紙文字 2005.10.26 第9回 たれつきジャケット 2005.10.31 第10回 細い帯を斜めに掛ける 2005.10.31 第11回 覆い帙 2005.11.01 第12回 和風のブックデザイン 2005.11.04 第13回 渡辺藤一の世界 2005.11.04 第14回 増刷と異装 2005.11.05 第15回 全集と双書のデザイン 2005.11.06 第16回 判型の効果
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