2005年10月 → 戻る  
 
ユリイカ展舞台裏 vol.5 行ってきました田中邸 2005.10.28  

 田中さんからのある日のメールに「我が家で、講座のシミュレーションを
してみましょうか」と添えられていた。ヤッホー!とばかりに「行く、行く、
行くー」と犬のように返事をし、6月、横浜にある田中邸に岡田さんととも
にお邪魔した。無駄のない田中さん、この日も綿密にスケジュールが組まれ
ていた。午前10時から和綴じ本の作成、お昼をはさんでユリイカ本の装丁講
義、折紙豆本の作り方、夕方散会。という段取りだった。
 事前にFAXで送っていただいた地図を頼りに、駅を降りて住宅地を歩くこと
10分、白い2階建てのお家があった。私の手には金子國義のリトグラフ。前
日の東京古書会館で行われた明治古典会で落札したもの。仕入れもしっかり
してくるあたり、地方の古本屋風情が漂う。岡田さんもすぐいらして、田中
さんと初めての対面をする。
 あいさつもそこそこ、すぐに製本開始。和紙のしっとりした感触、ちょっ
とずつ本になっていく喜び。楽しい。そういえば手作りしたのは、妊娠中に
編物した以来だなー。ローンで買ったミシンも一度クッションカバーを作っ
ただけで押し入れの中だ。小さい頃からの手作り熱が蘇る。田中さんの説明
は簡潔かつ丁寧で、自然に2人とも「先生これでいいでしょうか?」と聞い
てしまう。
 田中さんが和本を学んだ方は、遠藤諦之輔さんという宮内庁の書寮部にい
らした方であり、和本というのがいかに日本の風土と智恵から生まれてきた
か、説明をしてくださる。機械を使わずに作り、手仕事の素晴らしさが詰ま
っている。
 和本が完成し、「ではお昼にしましょう。前野さんすみませんがお願いし
ます」と田中さん。この日のお昼は私が担当。事前のメールで「お昼に外へ
食べに行く時間がもったいない。けど調理人の前野さんに手料理をふるまう
のは気が引ける……」とおっしゃるので、「では私が作りましょう。材料も
すべて持っていきますので」と申し出たのだった。この日作ったのは究極の
まかない料理「黄金パスタ」なるもの。私のオリジナルメニューというと聞
こえはいいが、溶き卵をからめただけの超簡単メニュー。しかし材料にこだ
わりがあり、それでなければおいしいものができないので、調味料やスパイ
スもすべて持参した。
 10分で調理し、10分で食べ、次は装丁講座。はじめて見るユリイカ本ばか
りで、何度も言葉を失う。「好き」とか「美しい」とかいうツボが心のどこ
かにあって、そこを直撃するようなデザインなのだ。箱の中から次から次へ
と差し出されるユリイカ本を「いいなー、いいですねー」としか言えないま
ま、火星の庭で展示できる歓びを感じた。
 さて折紙豆本はたかが折紙となめていると、作れないし覚えられない。2
回教えてもらっても、頭の中はもう満杯のブザーが鳴っていて、機能してい
ない。申し訳ありません……。ここで時間切れとなり、田中邸を後にした。
まさしく本漬けの充実した時間。帰り道岡田さんと興奮して歩きながら「お
もしろかったー。来てよかったー」とはしゃぐ。今日のこの講座をやるぞ、
仙台で。

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田中栞コレクション「書肆ユリイカの本」展、大好評のため展示期間が1週
間延長になりました。11/6(日)まで。くわしくはこちら。

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ユリイカ展舞台裏 vol.4 「田中栞の古本教室」にみる田中さんの仕事術 2005.10.27  

 「書肆ユリイカの本」展の日程が、決定した。準備期間やお互いのスケ
ジュールを照らし合わせ10月に開催となった。決まったのは新緑まぶしい
5月、紅葉の10月までまだ5ケ月先、というよりあと5ケ月しかない!と
いう気持ちだった。同時に田中さんから、装丁講座と製本講座をしましょう
と言っていただいた。心が踊るようだった。
 せっかく仙台に来ていただくのだから、田中さんの古本話を聞く会もした
いな。こちらから提案してみると、「だったら前野さんと岡田さんも一緒に、
古本の座談会をしましょうよ」とおっしゃる。むむーーー、それはおもしろ
いのだろうか。「ぜったいおもしろいわよー。」そうか、では!やってみま
しょう。となった。
 田中さんの頭の中には、すでにきれいに展示されたユリイカ本があり、和
やかに本と戯れる講座があり、笑いを交えた座談会があるようで、まったく
白紙の頭の私はそのビジョンをつかむことに必死なのだった。
 さて、告知をしてたくさんの人に来てもらうためにチラシとは別に「読み
もの」的なものがあるといいなーと感じた。「フリーペーパーのようなもの
を作ってみてはいかがでしょうか」と思いつきでメールを送ると、なんと次
の日には16ページものの詳細な目次が届いた。なんじゃこの早さは。それ
はフリーペーパーではなく、きちんと印刷され図版も多数掲載された立派な
冊子で、販売を想定したものだった。そして入稿から納品スケジュールも当
たり前のように組まれていた。
 想像するだけでは、ものごとは実現していかないのね。なにかを実現す
るって、能力プラスこのパワーよね、としばし感動した。パワーとは強靱な
る意志から生まれる。田中さんは意志の人なのだった。そして自分で決めた
ことをするのは、つらくてもものすごく楽しいという空気が伝わってくる。
 もうこうなったら田中さんについていくしかないわよ。原稿のための取材
や、必要な写真など言われるままに用意して、メールで送る。田中さんから
の返事はいつも深夜だった。日中は、校正の仕事や図書館や出版社に出かけ
たり、多忙を極めている。しかしいつも女性的な気配りで、こちらへの配慮
を忘れない。育児の先輩でもあるので、つい出てしまう日常のことなども、
バランスよく受け止めてくれて、ほっとした場面が何度もあった。なので、
メールというより手紙に近く、長文になることも多い。
 公私をきっぱりわけて男性的に仕事をするのではなく、女性的な感性を生
かしたまま仕事をする。キャリアウーマン的バリバリ型の女性とは違うもの
を感じた。女性的な特性は負と思われがちだったけど、女性って働くのに向
いているのねー、なんて思えてくる。但し強い意志と情熱があればね。展示
と講座を実現するためだけでなく、いつしか田中ウォッチャーとしてせっせ
とメールを打っていた。
 2005年1月17日から10月22日までに田中さんと私は206回、メールのやりと
りをしている。

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10/31まで田中栞コレクション「書肆ユリイカの本」展を火星の庭で開催し
ています。くわしくはこちら。

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ユリイカ展舞台裏 vol.3 ユリイカ展始動 2005.10.04  

 その時期ちょうど神保町の東京古書会館で、書皮友好協会主催の「本屋さ
んのカバー展」が開かれていて、開催3日目に会員である田中さんが展示の
解説をするために神保町に来ることになっていた。
 「書皮」という聞き慣れない言葉は中国語で本の表紙のことをいい、日本
では本屋さんが会計の時にかけてくれるカバーのことを指すようになった。
全国の本屋さんから集めて、毎年優れたカバーに賞を贈る。10年以上続い
ているその活動は『カバーおかけしますか?』という本にまとまり、本好き
の間でも話題になった。今回はその出版記念のイベントだった。
 古書会館では土日を除く毎日、別の会場で全国古書組合による古本の入札
会も開かれていて、同業者たちがしのぎを削っている。 
 この日はつい熱中し過ぎて、カバー展の会場についた時は田中さんの解説
が始まるところだった。10坪くらいの会場には壁3方にガラスケースが置
かれ、いつもは脇役のカバーたちが誇らし気に並んでいる。20人くらいの
人が田中さんを取り囲むようにして、解説に聞き入っている。背が低い方で
ある田中さんの姿は、男性たちに遮られて見えないが、落ち着いた流れるよ
うな声がはっきりと聞こえる。
 カバーの書店名、年代、デザイナー、時代性や描かれた風景の意味などを
聞いていると、ただのカバーにも物語があり、様々な人間の関わりがあるこ
とが見えてくる。今まで意識していなかったものが輝きだすような体験。こ
れは古本との出会いにも通じることだ。それにしてもすごい記憶力である。
淀みなく出てくるカバーの情報量に、記憶力にまったく自信のない私は、
いったい頭のなかどうなっているのかな〜、などと感心しているうちに時間
となった。
 終了しても田中さんを取り囲む輪はなくならず、田中さんは応対に忙しそ
う。ようやく一人になった時を見計らって、声をかけた。「こんにちは、お
久しぶりです」「あ、こんにちは」笑顔の田中さん。でもちょっととまどっ
ている。私も少々緊張して名前を告げるのを忘れてしまった。「展示の参考
になるかと思い、店内の写真と見取り図を持ってきました」「ああ」火星の
庭と私の顔を思い出していただいたようだ。「遠方からわざわざありがとう
ございます」「解説おもしろかったです。ユリイカ展もぜひやらせてくださ
い」「そうですね、じゃ開催日はいつがいいでしょうかね」ユリイカ展が始
動した。

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10/1から田中栞コレクション「書肆ユリイカの本」展を火星の庭で開催しま
す。田中さんが来仙して装丁&製本講座と座談会を開きます。
くわしくはこちら。

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ユリイカ展舞台裏 vol.2 田中さんへ会いに東京へ 2005.10.04  


「書肆ユリイカの本」を見せてくれた岡田さんが「大阪で田中さんが書肆ユ
リイカの本の展示をするんですって、こういうの仙台でもやりたいわね。」
とおっしゃる。たしかに素敵……。と想像しつつ次には「田中さんに連絡し
てみます」と言っていた。
 田中さんのご主人が経営する黄麦堂のホームページから、メールを送るこ
とにした。<たいへんご無沙汰をしております。偶然お店のお客様から「書
肆ユリイカの本」を見せてもらい、とても興味を持っています、………。>
 翌日田中さんから電話をいただいた。お話をするのは半年ぶりである。時
間の隔たりを感じさせず、話は尽きない。田中さんは『古本屋の女房』とい
う本を平凡社から出版したばかりだった。そこには田中さんの古本人生が赤
裸々に描かれ、古本で出来た漬け物石にむぎゅうと押されたお漬け物のよう
な本だった。「本物」(シャレじゃなく)の味がした。私はといえば突然無
職になり、思いつきで古本屋になった。つらいのは儲からないことだけで、
古本屋はおもしろくてしょうがない。女30ン歳、古本に人生かけていいの
か!?「いいのだ!!」その答えがここにあった。
 田中さんは手抜きをしない。お店の販売用にと送っていただいた『古本屋
の女房』には全冊に署名、落款、手描き彩色イラスト入り。本を通して人と
出会うことをとても大切にしてるのがわかる。たぶん『古本屋の女房』を
買った人全員と話がしたいと思ってる。そういう人だろう。
 何度かメールを交わしながら、2004年の暮れ、「来年仙台でユリイカ
展をやりたいです」と伝えた。「そうですか、ではやりましょう」と返事が
返ってきた。「ただ開催時期は慎重に考えましょう」となり、一時保留に
なった。
 田中さんの方で不安はかなりあったと思う。なにせ場所は東北、仙台であ
る。知る人ぞ知る伝説の出版社「書肆ユリイカ」の本を、これまた吹けば飛
ぶような古本屋で開催して、どのくらいの人が見に来るのか、見当もつかな
いのは当然のこと。展示をすると一口に言っても、実行するためにチラシ、
ポスター、展示リストなどの作成、配付、マスコミや関係者へのアプローチ、
展示場所は店舗であるため、展示レイアウトの作業なども頭を悩ますことに
なる。講座を行うとなれば準備はさらに倍増する。どんどん過密になるスケ
ジュールのなかで、田中さんにとって一大決心なのだった。
 大阪での初めての「書肆ユリイカの本」展は好評で、講座も超満員、2回
とも立ち見で人が溢れかえる状況だったそうだ。私は「やりたい、やらなけ
れば」という思いが動かし難くあり、本気だということをわかってもらおう
と、メールのちまちました文字ではじれったくなり、東京へ田中さんに会い
に行くことにした。
              
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10/1から田中栞コレクション「書肆ユリイカの本」展を火星の庭で開催しま
す。田中さんが来仙して装丁&製本講座と座談会を開きます。
くわしくはこちら。

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