2008年12月30日、大好評いただき、終了いたしました。
記録として下記に、
上映&トーク前の告知や終了後のご報告を掲載しております。




コトバと出会う「ときたま」上映&トーク
2008年12月30日(火)
時間:14:30スタート 16:00終了
入場料:1500円+1ドリンク 
ゲスト:土岐小百合さん
     飯沢耕太郎さん
場所:book cafe 火星の庭
定員:30名


土岐小百合:コミュニケーション・アーティスト。
「コトバと出会い,自分と出会い,世界と出会う」をモットーに
コトバのスナップショット『TOKIのことば』を作り続ける。
1993年より「週刊『TOKIのことば』」を発行。2007年11月末で約650号に。
また、コトバはガチャ(バッジやシール)やTシャツなどになって街へ繰
り出している。2006年よりコトバと人の映像『onときたま』シリーズを開始。
参加者は370人を超す。
   ★土岐小百合さんのブログ「ときどきたまたま日記
    ・12/6・東京での「ときたま」上映の記事
    ・12/30・火星の庭での「ときたま」上映のお知らせ


飯沢耕太郎:写真評論家
1954年宮城県生まれ。日本大学芸術学部卒業。日本を代表する写真評論家
として幅広く活動中。
90年代初期、季刊写真誌「deja-vu」編集長を務める。著書は、
『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)、『日本写真史を歩く』(新潮社)、
『写真の現在』(未来社)、『荒木!』(白水社)、『写真について話そう』
(角川書店)、『フォトグラファーになるには』(山内宏泰氏と共著/
ぺりかん社)など多数。
5000枚以上のコレクションを持つ有数のキノコ切手コレクターであり、
『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)、
詩集『茸日記』(三月兎社)もある。


<10月29日の庭番便から>
 東京から土岐小百合さんがご来店。近くまでお迎えに行く。遠くから
でもアーティスト光線がでているから、すぐわかる。かっこいい。軽く
告知をしていたので、「ときたま」目当ての人がやってきて、閉店後撮
影会がはじまる。
 土岐さんが15年に渡って製作してきたハガキに書かれた「ことば」
600枚以上のなかから気になる一枚を選び、土岐さんの持つビデオ
カメラに向かって思ったことを数十秒話すというもの。まず、一枚選
ぶのにけっこう迷う。10名が参加。新鮮な体験だった。
 
 「ときたま」年末にも行う予定。今回とった映像を上映しつつ、土岐さ
んとパートナーの飯沢耕太郎さんのトークもありますので、お楽しみに。


<12月14日の庭番便から>
 12/30に火星の庭で行う「ときたま」について。これがなかなか説明
が難しいのですが、先日東京で上映会が開かれ大盛況だったようです。
 土岐さんの日記にその様子が出ています。
   ★土岐小百合さんのブログ「ときどきたまたま日記
    ・12/6・東京での「ときたま」上映の記事
    ・12/30・火星の庭での「ときたま」上映のお知らせ
 参加された古井さんピッポさんのブログもぜひご覧ください。ほんと
楽しいですよ。
 12/30の火星の庭での「ときたま」には、土岐さんはもちろんのこと、
土岐さんのパートナーで写真評論家、更にきのこ博士としてもご活躍中の
飯沢耕太郎さんにも登場していただき、あっちこっちいろいろなお話を
お聞きしようと思います。
 何もこんな年の瀬にという声もあると思いますが、喧噪を抜け出して
ちょっとだけ遊んでみてはいかがでしょうか。
 いい時間になることをお約束します!
 前売り券、火星の庭店頭にて発売中。
 ネットからのご予約はこちらから。

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<2009年1月7日の庭番便から>

 「BOOK! BOOK! Sendai ブックトーク week」のラストは火星の庭で、
土岐小百合さんと飯沢耕太郎さんをゲストに行われました。
「コトバと出会う『ときたま』上映&トーク」です。
12月30日という暮れの暮れ。理由は飯沢さん土岐さんご夫妻の仙台への
帰省に合わせたため。20人ほど集まってくれて賑やかにスタート。



 土岐さんは全身「ときたま」色のピンク。衣裳のつなぎは友人に特注
で作ってもらったらしい。服に「ときたま」がいっぱいついている。



直感ひらめき型の土岐さんの活動を、理論型の飯沢さんが解説するとい
う形でトークがはじまりました。小説を書いたり、絵を描いたりしてい
た土岐さんに、飯沢さんが「確信のあることをすればいい」というアド
バイスをしたことがきっかけで、日々感じた断片を「まとめない」です
ぐ発表する「コトバのスナップショット」である「ときたま」が誕生し
ました。
 「ときたま」は購読者に毎週ハガキで郵送されます。バッヂやTシャツ
もある。原美術館には「ときたま」が入ったガチャガチャが置いてある
そうです。例えば「ときたま」はこんな風。



 15年以上続いてその数600枚以上。そして3年前から新しいパフォーマ
ンスが始まりました。「onときたま」といって、参加者が、600枚以上
の「ときたま」のなかから、ぴんと来たものを一枚選び、その言葉から
思いついたことをビデオカメラに向かって数十秒話す、というもの。す
でにDVD12巻が完成し、参加者は約400名になるのだそう。そして火星
の庭でも10月に土岐さんが来店され、撮影が行われました。


    (↑2008年10月、火星の庭でのときたま撮影の様子)

 この日はその第一回目の上映会となったのです。1巻に数十人登場する
のですが、見知った顔が出ると大受け。知らない人の話もおもしろい。
すごくその人のキャラが出ている。そしてついに自分も登場。あぁ自分
の声を聞くのは違和感があるなぁ。あと、ケンが撮られている最中に、
私が横やりを入れてからかっている場面も…まさか撮られているとは思
わなかった。穴があったら入りたくなりましたよ。

 約30分の映像上映で「ときたま」を楽しんで、この後希望者はどうぞ
撮影に参加してみてね、というところでトークは飯沢さんによるきのこ
の話題へと。きのこについて語る飯沢さんは眼がきらきら輝いている。
 なぜきのこにこれほど惹かれるのでしょうか。
「植物が生産者、動物が消費者だとしたらきのこ(菌類)は分解者。そ
こに惹かれる」でも「とにかく昔から好きだった」ということらしい。
 生産と消費だけでは世界は成立しない。消費のあとの残骸を分解する
もの、新たな生産へと巡回させる役割を担うもの、それがきのこなので
すね。

 飯沢さんの新著『きのこ文学大全』は、飯沢さんのキノコ狂の成果の
集大成。前文のきのこ文学宣言がふるっている。

 <20年以上前に胞子が私の中に入り込んだのかもしれない。…すると
その頭部からきのこが発生し、胞子を撒き散らす。そんなことが僕にも
起こりかけているのかもしれない。>

<…文学とは本来そのような「中間性」の領域で働くべきものなのでは
ないだろうか。分類され、定義づけられ、がんじがらめに固定された世
界の隙間に入り込み、思ってもみなかったもの同士を結びつけ、そこに
見えない流れを作り出していく。生と死を媒介し、生の中に死を、死の
中に生を育て上げていく。…すなわちーー文学はきのこである。あるい
は、きのこは文学である。>

 もちろん登場する作品も多種多様、魅力的なものばかり。
泉鏡花、正岡子規、宮澤賢治、夢野久作、山田風太郎、さらにルイス・
キャロル、ブラッドベリ、ナボコフ、カルヴィーノ、などなど。ポター、
トーベ・ヤンソン、つげ義春、水木しげる、芭蕉、漱石、フロイトにレ
ーニンと果てしない。

 そうか、文学はきのこなのかもしれない。とほんとに思えてきた。私
の頭にも胞子が入ってきたのだろうか。きのこというのは「中間者」。
現代は「中間」がない時代といえるだろう。

<私はきのこを広めることが世の中をよくする、とどこか本気で思って
いるわけです。土岐さんが「ときたま」をやっているのもそうでしょう。
「ときたま」もきのこだし、写真だってきのこだと言える。>

 このフレーズでノックアウトされました。お客様も真剣に楽しくきの
こを語る飯沢さんにつられてか、終了後『きのこ文学大全』が完売。
そのまま交流会となり、「ときたま」撮影会が繰り広げられました。



 土岐さん、飯沢さんたいへん楽しい時間をありがとうございました。
今年ぜひ、きのこ文学展をやりましょう。楽しみにしています。
 
 
 
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