火星の庭俳句会のメンバーで鳴子へ吟行にでかけました。
吟行は和歌や俳句ゆかりの土地をたずね、吟詠しながら歩くことです。
  
火星の庭俳句会は2006年にはじまり、毎月句会をおこなっています。
主宰の渡辺誠一郎さんは、俳人・佐藤鬼房氏がつくった俳句結社
「小熊座」の同人で、俳句誌『小熊座』の編集長。NHKや仙台文学館での
俳句講座、角川の俳句大歳時記の解説者のお一人でもあります。

               ◆

仙台から3台の車に分乗して、11時半に東鳴子温泉の大沼旅館へ着く。
かなさんの車のナンバー「575」だ…。
参加メンバーは10人+生後8ケ月のまひろ君も一緒。
大沼旅館は主宰が推薦するお宿で、8つの湯のすべてが源泉かけ流し、
料理は地元の食材を使い、温泉を舞台にした音楽イベント「鳴響」
メイン会場になるなど、伝統と斬新さのどちらももった宿なのです。
 
玄関の格子戸を開けるとロビーにはアラーキーの写真が。
以前、泊まりに来たという。谷内六郎の絵も壁にある。

用意していただいたマイクロバスに乗り出発。
大小の山が幾重にも続いていて、果てのない景色。
 
盛りを過ぎた紅葉は、霧雨にかすんで空とつながっている。
普段、狭いところにばかりいるので遠近感が狂って、眼が困っている。

まずは「尿前の関(しとまえのせき)」を訪れました。
 
320年前、平泉から南下してきた芭蕉が難儀した場所として
「おくのほそ道」に登場します。
出羽と陸奥の国境(くにざかい)にあり、
江戸から遥か遠いこの関所には旅人がほとんど通らないため、
通行手形を持たない芭蕉は関守に怪しまれ、
通行を許可されるまでさんざんな思いをしたそうです。
そんな、芭蕉にとっては屈辱(?)をあじわった、
しかし読者にとっては記憶に残る場所なのです。

関所跡は、正方形の土地があるだけでなにもない。
 
隅の方に芭蕉の銅像と、復元された門と柵があるだけ。
背後には古木が立ち並ぶ鬱蒼とした森のなかに一筋の山道。
苦労の末、関所をくぐった芭蕉が出羽街道の一歩を踏みだしたとき、
ほっとしたのか、それとも暗い山道に不安になったのかな。
足下には栗の実がたくさん転がっていた。
こんな句を作りました。
 
 出羽街道何億個目の栗落つる

旅行者らしき若者3人に写真撮影を頼まれる。
みんな薄着で一人は半袖。どこからきたのか聞くと、千葉。
こっちはセーターにマフラー着用。寒くてびっくりしたって。

鳴子峡へ。
周囲を歩いたら何時間もかかるくらい大きな谷の
ぜんぶが紅葉で輝いている。
 
谷の底は100メートル以上あるだろうか、ここでも眼が泳ぐ。
広大な駐車場はほぼ満車で、ものすごい人なんだけど
風景が雄大だからかあまり気にならない。
あちこちの国の言葉が飛び交っている。
見た目はみんな日本人。

ベンチに座って茸汁で体をあたためる。
具だくさんで盛りがよく、食べても食べても減らないので
みんなでまわして食べた。
崖をすこし下ると、山のなかにトンネルが口をあけ
線路がひょろとでている。電車が通る時間が掲げてあって、
トンネルを通過するときはスピードをゆるめてくれるらしい。
ここで一句。

 秋という国に迷いし線路かな

若者の桃生君が通りがかりにシャッターを押すのを
頼まれている。何度も頼まれているらしい。
「僕っていつもそうなんですよー」。
見るからに好青年だからね。実際もそうです。

国道47号を西へ走り、山形になった。
「封人の家」は江戸時代の役人の家。
  
芭蕉と曾良が山越えの途中に日が暮れて、
納屋でもいいので一晩宿をかしてください。
と頼んで泊めてもらった。
悪天候のため、ここで芭蕉は3日間足止めをくった。
そのときの芭蕉の句。

 蚤虱馬の尿する枕もと

土地の人はこの句を喜んでいるだろうか。
でも芭蕉の句が残されているかどうかで大違いだと、
主宰が言っていたので、どんな句でもうれしいのかもしれない。

土間が広いのは、お殿様へ献上する馬を飼い、
炭を焼いて、旅人の宿屋もやっていたかららしい。
囲炉裏に火があって、みんなで喜んで暖まる。
管理の人が囲炉裏の鉄瓶のお湯でお茶を入れてくれてお話を聞く。
芭蕉は馬小屋で寝たわけではないようだ。
「おくのほそ道」には誇張や脚色、創作がみられる。
ただの旅行記ではなく文学だから。

 

囲炉裏のそばから離れがたい。
芭蕉がここに来たのは5月だが、今日くらい寒かっただろう。
都に帰りたくならなかっただろうか。

小宮豊隆筆蹟による芭蕉の句碑が庭に建っていた。
主宰が「句碑全体をスケッチするといい」と言うので、
みんなで丸長の石をスケッチする。
「銅像はいやだけど、句碑はいいよね」と主宰が言う。

「邦人の家」の先は山刀伐(なたぎり)峠。かなりの悪路らしい。
バスは宮城へ引き返して、峠へは行かなかった。
「おくのほそ道」を読むとこの峠でどれほど恐い思いをしたか、
書かれている。
「この先には分水嶺もあるんだよ」と主宰が教えてくれる。
今は宮城と山形の県境だけど、ここにはひとの眼に見えない境界が
あって、相反するものが隣り合う世界なのではないか。
西と東、あの世とこの世、裏と表、旅と日常、無色と色、過去と現世…。

運転手さんが予定になかった潟沼にぜひ、と案内してくれた。
潟沼は日本一の酸性湖で天気のいい日は湖面が青緑色しているらしい。

生物はほとんどいなく、四方を山に囲まれた神秘的な風景だった。
青森の十和田湖に似ている。
以前ここで主宰の呼びかけで田中泯さんが舞踏をしたそうだ。
真っ赤な着物を着て湖に入っていったという。
それはそれは、ものすごい光景だったでしょう。

さぁ俳句のネタは充分すぎるほど仕込みましたね。
いよいよ俳句会です。えーー、何もできてないよ〜。と同人たち。
後ろに座っているジュンちゃんはプシュとビールの缶を開けている。
うう、できないできないできないーーと冷や汗をかいているうちに
会場へ着きました。

 
大沼旅館の裏山に茶室をそなえた離れがあり、
句会をするのに絶好な広間を借りてひらかれました。
申し分ない環境なのですが、まぁ、いかんせん私本人の技量が
問題でして…。なんとか3句提出し肩をおろす。
 

半日いっしょに見て歩いた風景から、詠まれた俳句30句を読んでいると、
直接会話をするのとは別の意識の交流が生まれる。
紅葉、と書かれたとき、今日の霧雨にかすむ紅葉であり、
けっして晴天の紅葉ではない。
そんな明確な理解と、それなのにまったく違う連想を人が持つ
不思議さおもしろさ、そのセッションが吟行の楽しさかな、と思った。

うれしいことにさきほどの栗の句で、主宰より色紙を賜る。
「何億個目のゴロが悪いけどね」と言われましたが。
いただいた色紙の主宰の句。

 黙約は鼬の濡れる夜にこそ   誠一郎

宿に戻り、待ちに待った温泉で体をほぐし、夕飯。
お腹にやさしい、手づくりのおいしい和食膳でした。
まだ飲み足りず、一部屋に集まって酒盛り。
「じゃお題を出して句作しようか」と主宰がいうのを無視(!?)して、
ひたすらわいわいおしゃべり。
友部正人さんとユミさんがいるニューヨークの吟行案が浮上。
行きの旅費は毎月積み立てをして貯金し、帰りは向こうで稼ごう、と。
主宰は芭蕉のコスプレをして、桃生君か卓さんが曾良の役。
だったら主宰が水戸黄門で、桃生君と卓さんは助さん、角さん。
うっかり八衛兵はジュンちゃん。など脱線しまくる。
しばらくするとまた主宰が「じゃお題を…」と言うと
「もうムリ!」と女性陣。俳人への道は遠いです。

翌朝も9時から離れで句会。
 

庭に桜が咲いていた。秋の色のなかにここだけ春の色。
前日深夜までの酒がまだ残っていて、まったく俳句モードにならず。
特にわたし。この時間に起きていることすら稀。ですから。
2句提出なのに、やっと一句。それもひどい出来。

メールで豆腐屋(友部正人)さん、テリ庵さん、龍雲(山本隆太)さん
の俳句がニューヨーク、青森、東京から届く。
特選句は豆腐屋さん。

 幼子の手となかよしになる時雨かな   豆腐屋

秀逸句は柚木さん。

 古宿の湯より生まるる秋の蝶      柚木美琴

12時に終了。解散となりました。
 
かなさんと主宰は石巻で午後から句会があるそうで、そちらへ向かった。
すごすぎです。私たち初心者チームは名物の手打ち蕎麦を食べて、
道の駅でお土産を買ってたらたら帰りました。
俳句一色とはなりませんでしたが、
吟行でなければ味わえない充実した2日間でした。
主宰の渡辺さんありがとうございました。
準備からすべてを仕切ってくれたかなさんにも感謝です。
 

朝、布団をあげにきた仲居さんが言っていた通り、
次の日の鳴子は初雪が降ったということです。



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